BOOKS

  • UMIMACHI DIARY

    SEIGENSHA Art Publishing, Inc.

    「祝福と惜別」 もう、あの四姉妹は、あの街にはいないのだ……。写真集の最後のページの、二階の窓辺に四人が寄り添った写真を見ながら僕の中に湧きあがって来た感慨は、そんな、ちょっと倒錯したものだった。映画が終わっても、あの街で、あの家で、登場人物がこれからも暮らしているような錯覚を観た人が抱くような作品にしたい。映画を作る時は、いつもそう思っている。今回もそれは同じだった。そして、その願いは、四人の希有な女優の、これまた希有な出会いと作品への献身によって見事に実現したと自負している。暖かな日差しに包まれて、四人はきっと今日もあの居間の畳の上で昼寝をしていることだろう。そう考えるだけで、こちらも思わず口元が弛む。映画の中に三回も喪服が登場することからも明らかなように、この作品は全体が死の匂いで覆われている。にも拘らず、その匂いを超えて作品が生の肯定感に溢れているのは、そう僕自身が感じるのは、彼女たちの存在そのものが 輝いているからに違いない。まさに青春と呼ぶにふさわしい時間の中で、四人はかけがえのない人生の一部を提供してくれた。瀧本幹也によるこのもうひとつの「海街diary」と呼ぶべき写真集がその肯定感を否定している訳ではもちろんない。むしろ、映画 以上に四人の瞬間の煌めきを、彼の眼と指は捕らえているのではないか、とさえ思う。驚いたことにあまりにその切り取り方が見事であるからこそ、この被写体となっているものが 映画 製作という虚構の空間の女優であるという、動かしようの無い事実を一瞬忘れさせる。僕は、忘れた。そして逆に、彼女たちのあの時間が永遠ではないことを思い出してしまったのだ。その時、僕の脳裏に合わせ鏡のように浮かんだのは、東日本大震災の被災地を訪れた時に「瓦礫」の中に発見した帰る場所を失った家族のアルバム写真だった。不謹慎かも知れないこの想像を、僕はしかし打ち消すことが出来なかった。もはや失われてしまった時間と場所。そしてカメラを、レンズを挟んで交わされるお互いのまなざし。「かけがえのなさ」に向けられた、祝福と惜別。ふたつの感情を背負いながら、瀧本幹也も恐らくあの街に、あの海辺に立っていたに違いない。そのかけがえのなさを前にして「事実」と「虚構」の区別など 何の意味があろうか? 2015年3月29日 映画監督 是枝裕和 (本書寄稿文より)

    "Blessings and Bitter Farewells" Those four sisters aren’t in that town anymore... That was the slightly perverse feeling that welled up from within me as I gazed at the picture of the sisters bunched up together by the second story window on the last page of the photo collection. I want to make films that give viewers the sense that, even after the movie is over, the characters are still there in that town, living that house. This desire is always in my mind when working on a film. Of course, this time was no different. I am happy to say that I was able to realize this wish thanks to the uncommon encounter with these four uncommon actresses and the devotion they showed to the film. I’m sure that the four of them are taking a nap in the warm afternoon sun on the tatami of their living room. Just thinking this makes me smile with pleasure. As is evident from the way mourning clothes appear three times in the film, this entire work is shrouded in the scent of death. Still, what allows this film to overcome this scent and be so full of the positive emotions of life, or at least why I feel it does so, is without a doubt the brilliant presence of these sisters. The four of them offered up an irreplaceable portion of their lives in a time that truly deserves to be called the springtime of life. Of course Mikiya Takimoto’s photo collection that should also be referred to as another “ Our Little Sister ” does not reject this positivity. Rather, I feel his eyes and fingers have captured the glimmer of the moments in these four sisters’ lives even better than the film. What surprised me is that his cuts are so superb that you can forget for an instant the irrefutable fact that the subjects are actresses in the fictional setting of a movie production. I know I forgot. But then I also remembered that this time for the actresses is not forever. What popped into my mind at that moment like coupled mirrors was an album photo of a family that had lost their home that I discovered in “ rubble ” when I visited the areas devastated by the Great East Japan Earthquake. My imagination may be shameless, yet I was still unable to dispel it. Places and times that are no more. And then gazes exchanged with the camera and lens interposed. Blessings and bitter farewells in the face of irreplaceability. There is no doubt in my mind that Mikiya Takimoto bore both of these emotions as he stood in that town, along that seashore. Is there a meaning to the distinction between fact and fiction in the face of such irreplaceability ? March 29, 2015 Hirokazu Kore-eda, film director (From text contributed to the book)

    青幻舎/ 2015年5月27日/ 104ページ/ 77点/ 297×210×20mm/ ISBN: 4-86152-498-1/ デザイン: 森本千絵

    SEIGENSHA Art Publishing, Inc./ 2015 05 27/ 104pages/ 77photographs/ 297x210x20mm/ ISBN: 4-86152-498-1/ Design: Chie Morimoto

  • GRAIN OF LIGHT

    SEIGENSHA Art Publishing, Inc.

    遥かな俯瞰の視点によって捉えられた海の表情は、我々にとって身近な存在ではない、別の物のような違和感を感じさせる。未だこの宇宙の中で地球以外では確認されていないという海という存在。惑星誕生の原初から果てしなく続く行為の刹那を捉えた本作は、地球という惑星のアイデンティティを再確認させてくれる惑星「地球」のポートレイト。古典ともいうべき普遍的なテーマ「海」に、全く新しいアプローチで取り組んだ写真集。

    The face of the ocean when perceived from a distant, commanding viewpoint is not familiar; it gives off a sense of otherness like something completely different. There is yet to be any confirmation of other oceans existing in this galaxy other than the planet we live on. These photos capture the moment of an act that has taken place without pause since the primordial days of this planet's origin - portraits that will reaffirm the identity of planet Earth. This is a collection that takes an entirely different approach towards the universal, almost classic theme of the sea.

    青幻舎/ 2014年6月10日/ 64ページ/ 37点/ 284×218×10mm/ ISBN: 4-86152-447-9/ デザイン: 須山悠里

    SEIGENSHA Art Publishing, Inc./ 2014 06 10/ 64pages/ 37photographs/ 284x218x10mm/ ISBN: 4-86152-447-9/ Design: Yuri Suyama

  • Nonocular

    MATCH and Company Co., Ltd.

    先住民族マオリの人々が居住していたポリネシア、ロトルア地方へ訪れて撮影しました。地熱活動が活発な地域で、間欠泉や熱泥池が点在し現実離れした風景が存在します。地球の鼓動を感じ、無意識の奥底に埋もれていたものを迷宮から手繰り寄せるように静かにシャッターをきりました。

    This collection of photographs were taken during a visit to the Rotorua area in Polynesia, where the indigenous Maori resides. Known as an active center of geothermal activity, it's geysers, hot mud pools and other natural features scattered throughout the area create a surreal scene of wonder. As I felt the pulse of the very earth itself, I silently released the shutter as if reeling in something buried deep within the labyrinth of my unconsciousness.

    MATCH and Company/ 2014年4月18日/ 24ページ/ 20点/ 185×263×5mm/ デザイン: 町口覚

    MATCH and Company Co., Ltd./ 2014 04 18/ 24pages/ 20photographs/ 185x263x5mm/ Design: Satoshi Machiguchi

  • LAND SPACE

    SEIGENSHA Art Publishing, Inc.

    〈LAND〉と〈SPACE〉のめくるめく縫合   瀧本幹也氏の《 LAND SPACE 》には、これはまさに、私の住んでいる世界だ、という意外な感動がある。意外な、というのは、どのページの写真も、実際には、あまりに私たちの日常から懸け離れているからである。 辺境の地をテーマとした写真集は無数にあるが、ふつう人は、その撮影場所が、自分の生活圏から遠く隔たっていることにこそ珍しさを感じ、興味を掻き立てられる。しかし、《 LAND SPACE 》は、そうした水平的な地域差よりも、むしろ垂直的な時間差を意識させる。生命が出現する遙か以前には、地球はこうだったのかもしれない。そして、今でも実は、こういう惑星なのではないかと。 グローバル化で、確かに私たちの意識は、地球規模にまで拡張されることとなったが、それはネットワークの効果である。しかし、ここで表現された〈LAND〉は、some of landsではなく、〈SPACE〉と対置された地球のlandそのものである。 私たちは、それを根源的に「自分の住んでいる場所」として体験する。〈SPACE〉は〈LAND〉を包み込む。〈SPACE〉は〈LAND〉を全体化する。一個の〈SPACE〉に対して、〈LAND〉もまた、断じて一体であり、一個である。《 LAND SPACE 》は、原初の地球の〈LAND〉と、最先端の科学技術が展開される〈SPACE〉との、めざましい境界侵犯の戯れに外ならない。 瀧本氏は、星空のような、直接に私たちを宇宙と結びつける写真を撮らなかった。彼が視覚化したのは、むしろ両者の狭間に存在する緊張である。〈LAND〉から〈SPACE〉へと脱出しようとする際の巨大な引き留めの力。〈SPACE〉から〈LAND〉へと突入しようとする際の凄まじい抵抗の力。— その生々しい痕跡によって、私たちは〈LAND〉に目覚め、〈SPACE〉を夢見ることとなる。 事前に予備知識なく、最初のページを開いた時、私は、そこに写っているものが何なのか、しばらくわからなかった。 神秘的な青い円の中には、無数の線が放射状に走っている。顕微鏡で見た何かの植物の組織なのか、あるいは、動物の目の虹彩か。 あとで、これがロケットのエンジンの噴射口だと聞いて、私はようやく、以前にNASAのジョンソン宇宙センターで目にしたその実物を思い出したが、この究極の人工物が湛えている、ふしぎに自然的な気配こそは、この写真集への絶妙な手引きである。 フロリダ州のケネディ宇宙センターでの撮影で、瀧本氏は、或いは、施設の壁を、マレーヴィチのシュプレマティズム風に抽象化し、或いはまた、シャトルの先端を、複雑に組み上げられた作業場ごと、ブラックのキュビズム風に二次元化してみせる。更に接近した、そのシャトル先端の、一枚一枚が、すべて異なる形状だという精密な黒い耐熱タイルのクールさは、SF以上にSF的である。 これらのイメージの断片化と異化を通じて、瀧本氏は、NASAという固有名詞から、直線的に〈SPACE〉へと飛躍しようとする私たちの想像力を、むしろ、〈LAND〉へと劇的に解放する。境界は超えられ、しかも同時に超えられていない。 続くページに出現した、この無人の摩訶不思議な〈LAND〉は、一体どこの〈LAND〉なのか? 私たちは、そこに遠い彼方の、人類がまだ知らない惑星の〈LAND〉を透かし見る。しかし、実はそれは、地球の〈LAND〉が、まるで見てきたかのように物語る一種の予言なのではあるまいか? 〈LAND〉と〈SPACE〉を往復するシャトルは、そのかたちに於て、晴れやかに〈SPACE〉と約束を交わしながら、幾つものアナロジーによって〈LAND〉との密約も隠さない。シャトル発射前夜の静謐は休火山の火口と、その圧倒的な発射は壮大な氷河と、同じ一つの詩である。〈LAND〉と〈SPACE〉は、今や厳重に隔離されている。しかし、シャトルは、一本の縫い針のように、その軌跡の糸で、幾度となく両者を縫い合わせている。大気圏突入によるシャトルの摩擦の痕跡は、その境界を貫く針先の衝撃である。《 LAND SPACE 》は、いかにも瀧本氏らしい、誰がどう見ても〝カッコイイ〟写真集だが、そのコンセプトはほとんど神秘主義的で、形而上学的である。が、〈LAND〉と〈SPACE〉との関係を、事前に理知的に整理して、この作品の制作を開始することは出来なかっただろう。私たちも、実際に写真を見ることなしには、その組み合わせの本当の意味を理解できない。それを最初に納得するのは、目であり、からだである。私たちは、重力と無重力とが鬩ぎ合う激震の最中で、不思議に瞑想的な静謐に浸される。それは、《 LAND SPACE 》というタイトルの〈LAND〉と〈SPACE〉との間に開いた一個の空白のように澄んでいる。 私は《 ドーン 》という近未来小説の中で、有人火星探査から地球に戻ってきたクルー達の視点で、地球の美をこんなふうに書いた。— 四十億年以上もの時間をかけて、気がつけばこうなっていたという、その完全な偶然任せ!呆れるほど楽天的な結果論的美!…… 地球は、あまりに美しく、どんなに信仰心のない人間でも、時折つい、これはやっぱり、何か偉大な存在の創造の産物なのではないかと考えたくなる。しかし、私たちが、ここに見る無人の〈LAND〉に感動するのは、それが実のところ完全に無目的で、ただ美しい以外にはまったく無益だからである。そして、その意味でこそ、人類の文明の対極として、憧れの対象となる。 スペースシャトルは、そうした文明の極致の存在でありながら、どこかしら、自然そのもののように無目的で、無益な雰囲気を備えている。ただ〈LAND〉と〈SPACE〉を往復するだけという、その崇高な単純さ! だからこそ、シャトルの機体には、地球の愛撫のあとが無数に残されているのかもしれない。地球上のどんな存在も、地球を出入りするといった愚行のために血道を上げたことはなかった。しかし、それこそは、人類が幾分かは備えている愛らしさの最も確実な証である。 かつて、《 BAUHAUS 》で、合目的的な人工物の極致とも言うべき施設を撮影し、他方、《 SIGHTSEEING 》で、非日常性に吸い寄せられる人々の姿を撮影した瀧本氏は、《 LAND SPACE 》で、両者の壮大な止揚を試みたように見える。《 LAND SPACE 》は、地球であり、宇宙であり、人間であり、自然であり、思想であり、物語である。そして、もちろん、そのすべてである写真である。 平野啓一郎(作家) (本書寄稿文より)

    A Radiant Joining of LAND and SPACE   Mikiya Takimoto’s LAND SPACE moved me in a surprising way. I thought, “Yes, this is truly the world I live in!” It was surprising because every one of the photographs in the book is so far removed from our daily experience. The remote regions of the earth is a theme of countless photograph collections. What people ordinarily find unusual is the remoteness of the photograph locations, which are so far from the sphere of their daily existence. It arouses their interest. Rather than such horizontal regional differences, LAND SPACE makes us aware of vertical time differences. Perhaps this was how earth was long before life appeared. And it is how our planet still is even now. With globalization, our awareness has certainly expanded to a global scale−the outcome of a world connected to the Internet. The LAND expressed by the photographs in this collection, however, is not “some of the land” on earth, it is ”the land of earth” placed in contrast to SPACE. This is basically how we experience “the place we live in.” SPACE enfolds LAND. SPACE gives entirety to LAND. When placed in contrast to the single unit SPACE, LAND is surely also one body−a single unit. LAND SPACE is none other than a stunning playful invasion of the boundary between the primordial LAND of earth and SPACE as it is unfolded to us by leading−edge technologies. Mikiya Takimoto didn’t take photographs of the starlit sky variety that link us directly to space. What he puts into visualization is the tension that exists on the threshold between the two. The enormous power that detains us as we attempt to escape from LAND into SPACE. The tremendous power of resistance we meet as we attempt to plunge back to LAND from SPACE. Because of the graphic traces they leave, we awaken to the wonders of LAND and dream of the wonders of SPACE. I didn’t have any background knowledge of the subjects of the photograph, so when I opened the first page of LAND SPACE it took me a while to realize what it was I was looking at. Inside a mysterious blue cone a countless number of lines form a radial pattern. It looked like some kind of plant tissue viewed under a microscope, or perhaps the iris of an animal’s eye. Later, when I heard that it was the injection port of a rocket engine, I recalled the real thing, which I had seen at NASA’s Johnson Space Center. It is the naturalness with which this ultimate manmade object is strangely imbued that is our superb guide to Takimoto’s photograph collection. Takimoto’s photographs of the walls of facilities at the Kennedy Space Center in Florida are reminiscent of the abstract Suprematist style of Kazimir Malevich, and the shuttle’s nose cone together with the complex structure of the processing facility imitates the two−dimensional cubism of Georges Braque. The photographs taken closer up to the nose cone of the space shuttle of the black heat shield tiles, each one dissimilar in shape to the others and made to a variety of precise specifications, project a coldness that feels more like science fiction than science fiction. Takimoto’s fragmentation and dissimilation of these images dramatically frees our imagination, which would fly directly from the proper noun NASA into SPACE, to come back to LAND. The boundary is crossed, but at the same time it is not crossed. The profoundly mysterious uninhabited LAND on the next page−where in the world is that? We look through it to the LAND of a planet far away that mankind still does not know of. Actually it is the LAND of earth−isn’t it a sort of prophecy that tells the tale as if it has really seen such a distant land. Traveling back and forth between LAND and SPACE, the space shuttle, while exchanging bright promises with SPACE, doesn’t hide the secret agreements it has made with LAND through many analogies. The tranquility the night before the shuttle launch is the crater of a dormant volcano, the overwhelming force of the launch is a massive glacier−both are part of the same poem. There is a hard−and−fast division now between LAND and SPACE. But the space shuttle acts as a needle whose path is the thread that has stitched both together so many times. The traces of friction left on the shuttle when it plunges back into earth’s atmosphere manifest the impact on the tip of the needle that has penetrated the boundary. LAND SPACE is a photography collection that is indeed representative of Takimoto−from anyone’s point of view it has “style.” The concept is, on the whole, mystic and metaphysical. But Takimoto probably wasn’t able to work out the relation between LAND and SPACE on an intellectual level first before he began working on the collection. Before we see the photographs, we are unable to understand the true meaning of the combination. Our eyes and our bodies are the first to be convinced. In the midst of the fierce earthquake of gravity and zero gravity struggling against each other, we are strangely immersed in a meditative tranquility. This tranquility is limpid, the same as the void open between the LAND and SPACE that gives LAND SPACE its title. In Dawn, a novel of the near future, I write of the earth’s beauty from the point of view of the crew members who return to earth from a manned expedition to explore Mars. Take over four billion years, leave things perfectly to chance, and then find that it looks like this! That’s beauty on hindsight on an amazingly optimistic scale! The earth is so beautiful that even adamant non-believers sometimes, in spite of themselves, are tempted to think that it must be the creation of some superior being. But what moves us about the uninhabited LAND we see in this collection is the complete purposelessness of such beauty. It is beauty for the sake of beauty and otherwise useless. This very sense of being at the opposite extreme of human civilization is why it becomes an object of longing. The space shuttle, while it is an object that represents the culmination of human civilization, also has about it an air of purposelessness and uselessness, as nature itself does. The shuttle just travels back and forth between LAND and SPACE−what sublime simplicity! That may be the very reason why the marks of earth’s caresses are left on the shuttle’s body in such profusion. No other existence on earth has made such desperate efforts to foolishly travel back and forth to earth. But this is the surest proof of the endearing quality that mankind possesses to some extent. Previously, Takimoto portrayed the ultimate manmade facility perfectly fitted to its purpose in BAUHAUS, and captured the figures of persons drawn in by extraordinariness in SIGHTSEEING. In LAND SPACE, he appears to be trying for a grand sublation of earth and space. LAND SPACE is the earth, space, human beings, nature, idea, and story. And of course, the photographs that are all of these. Keiichiro Hirano (novelist) (From text contributed to the book)

    青幻舎/ 2013年5月23日/ 80ページ/ 36点/ 406×302×14mm/ ISBN: 4−86152−392−2/ デザイン: 服部一成

    SEIGENSHA Art Publishing, Inc./ 2013 05 23/ 80pages/ 36photographs/ 406x302x14mm/ ISBN: 4−86152−392−2/ Design: Kazunari Hattori

  • LOUIS VUITTON FOREST

    GENTOSHA INC.

    人類の歴史を見ると古くから、文明は豊かな水と森のそばに築かれ、ほとんど例外なく森を失った文明は滅んでいきました。森はたくさんの生命を育み、水を保持し、この惑星の生命圏をさまざまな災厄から守り、人類の文明を支えてくれます。今日、人類文明はグローバル化し、同時に地球全体から急速に森が失われている現実を見る時、私たち人類の生存の危機が迫っているのではないかという焦燥感にかられます。個人であれ、企業であれ、それぞれの立場でこれに立ち向かうのは、グローバル化された人類文明の一員として、誰も逃れられない責任ではないでしょうか。このような考えを共有して、2007年7月、細野晴臣、高橋幸宏、中沢新一、桑原茂一、そして私の5名の発起人および各界から100名 以上の賛同人を得て、more trees は設立されました。そして私たちの予想を超える速さで、「 more trees の森 」は広がっていきました。現在、日本国内に8つ、フィリピンに1つ「 more trees の森 」が誕生しています。その中の一つがルイ・ヴィトンと協働でつくった長野県小諸市の「 ルイ・ヴィトンの森 」です。浅間山への登山口近く、カラマツ、アカマツ、そしてその他の広葉樹のある美しい森です。2009年の夏、ルイ・ヴィトン家 5代目 当主 パトリック - ルイ・ヴィトン氏、ルイ・ヴィトン ジャパン プレジデント & CEO エマニュエル・プラット氏と共に小諸市との調印のため現地を訪れた際、一緒に森を歩き回り、梢を伝わる風の音に耳をすまし、ゆったりとした素晴らしい午後の一時を過ごしました。時を経て、この美しい森をカメラに収めたいという気持ちが関係者の間に広がり、私も全く同じ気持ちにかられました。そして「 この森を撮るなら瀧本幹也さんが適任だ 」とすぐに直感し、そう提案したところ、幸いみなさんの同意を得られました。瀧本さんは「 ルイ・ヴィトンの森 」に何度も入り、春夏秋冬の森の繊細な表情を見事に捉えてくれました。その結果がこの本へと結晶しました。 音楽家 坂本龍一 (本書寄稿文より) 画家たち、写真家たちの特権的主題である樹木は、ひとつの象徴として、自然表現の中心を占める。長いあいだ数多くの文明にとって崇拝の対象であった樹木は、それ自体の中に生命と創造性の概念をふくみもつ。それは思い出の守護者であり、長寿と不滅性の象徴にほかならない。自然法則上大地に結びつけられ、大空に光を探し求め、水からは養分を手に入れると同時にその保護者となり、大気にたいしてはその清澄さの保持者となる樹木は、それだけで、それ自体のなかに、生命にとって不可欠な四大を集めもつ。大地Landと宇宙Spaceをめぐる一連の作品を撮った瀧本幹也は、今度は樹木と森林に視線を移し、人を驚かせると同時に神秘的でもある植物世界の本質の探求にとりかかる。ひとつの楽譜のように彼は自分の映像をつなぎあわせ、私たちを、繁茂し繁殖する森林空間に浸り込ませる。換言すれば、自然にあってもっとも本質的なもの、生命の起源自体の中心に入り込むよう、私たちを促すのである。植物を空にそびえ立たせるフレーミングの厳密さ、どんなに細い小枝も見逃さぬ映像の繊細さ、身近なものから遠いものへ私たちをみちびく焦点合わせの技、それらすべてが力を合わせて、力強く、緊張したこの世界、厳粛さと美と精神性にみちみちたこの世界を表現する。彼の写真は詩情と現実のはざまにあって私たちの感動を支えると同時に、ギュスターヴ・ル・グレーやウジェーヌ・アジェによる表現の伝統にもつながっている。とはいえ、たとえ樹木の時間が人間のそれではないとしても、保護者たるこれらの巨人がかよわい存在であることにかわりはない。森林にたいして加えられた侵害を表現することは、写真家にとってたやすいことであったろう。気候の変動、時宜をえぬ開墾、あるいは破壊をもたらすだけの開拓などの表現は、他の多くの人々が引き受けた。しかしながら瀧本幹也が選びとり、さりげない妙技を発揮したのは季節の移り変わりの表現である。色どりが変化して緑が赤茶色になり、かつて豊かだった木の葉も細枝になりかわり、空の青もあらわれたかと思えばたちまち消えてしまい、さまざまな物影が姿をあらわす。森全体が徐々に白の誘惑を知るようになり、あたかも生と死を象徴するメタファーのよう。もちろん冬の到来だ。彼の写真には、それとはわからぬほどに、ある疑いというか、なにかしら不確かなものがふりかけられる。あの霧の暈のあとには春がつづくのだろうか? 以前のように戻ってくるものが、もしなにひとつなかったら?確かで強靭なものだった森が、不安定なかりそめのものになりかわり、もろもろの季節も、ある脅威というか、もしかしたら消え失せてしまうかも知れぬもののアレゴリーになってしまう。見えるものと見えないものの仲介者である樹木は、その時、瞬時に過ぎ去る時間を表現するもの、存在の不確かさをあらわすものとなる。しかし、つねに自分の映像の感嘆すべき支配者である瀧本幹也は、この上なく巧妙に私たちをある生の教えへと誘い、さながらオーケストラの指揮者のように、再生と復活の概念へと導く。まちがいなく春はやってくる。この森の生命をかき乱すものはひとりもいない。それもまた写真家の選択なのだ。時おり一枚の葉が差し出され、あたかも私たちを招くかのよう。実際彼は決然として私たちを招くのだ ― 私たちひとりひとりの感受性に開かれたこれらの映像の、唯一人の観客であれ、と。同時に彼が誘うのは、私たちが頑固に繁茂する森の存在に視線で触れること、写真という素材の中に入り込み、それを知覚の冒険にすることである。こうして普遍的なものになった森を、彼はさらに孤独な散歩者の瞑想に開かれた地上の楽園にする。そしてその孤独な散歩者になってみては、と私たちを誘う。その時彼の作品のひとつひとつが観照空間となり、造形的であると同時に象徴的でもあるひとつの対話を生み出す。そしてその対話がここに見出すのは、私たちの心を占める科学的、文化的、芸術的関心事の交差点を象徴的に表現するものに他ならない。 2011年5月 フランソワーズ・パヴィオ / 訳 岩崎力 フランス文学者・翻訳家・東京外国語大学名誉教授 (本書寄稿文より)

    Examining the history of humanity, civilizations have always been founded near flowing waters and flourishing forests. A civilization that lost its forest, almost without exception, has perished. Forests sustain life, store water, protect ecosystems from disasters, and support humanity. Today, with an unseen speed of globalization, and an equally rapid destruction of forests, I feel anxious as the end of civilization becomes increasingly visible. Whether as individuals or as corporations, I find that it is our responsibility as a part of our global civilization to solve this problem we have caused. Sharing these ideologies, the 5 of us: Haruomi Hosono, Yukihiro Takahashi, Shinichi Nakazawa, Moichi Kuwahara and I founded ''more trees'' along with over 100 supporters. The ''more trees forests'' spread faster surpassing our expectations. Currently there is 1 forest in the Philippines and 8 in Japan. One of which was created in collaboration with Louis Vuitton in Komoro city in the Nagano prefecture, aptly named "LOUIS VUITTON FOREST". It's a beautiful forest near the entrance of Asama Mountain with Karamatsu (larch), Akamatsu (red pine) and various types of Koyojyu (broad-leaf trees). In the summer of 2009, The 5th generation of the Vuitton family Patrick-Louis Vuitton, and Louis Vuitton Japan President&CEO Emmanuel Pratt spent a lovely afternoon while touring and listening to the sound of wildlife in the forest with us. Time passed, and a few of those involved in the project voiced their desire to capture this beautiful forest on camera, and soon enough, I was also convinced that this would be an important undertaking to preserve its beauty. I immediately thought of and recommended Mikiya Takimoto for this task and fortunately, everyone agreed with me. Mr.Takimoto visited "LOUIS VUITTON FOREST" on several occasions to capture the subtle seasonal expressions unique to the forest. These visits to the forest crystallized into this book. Ryuichi Sakamoto Musician / Composer (From text contributed to the book) A privileged subject for painters and photographers, the tree carries strong symbolism within the representation of nature. Long an object of worship in many civilizations, it conveys notions of life and creativity. The keeper of memory, it represents longevity and immortality. Physically linked to the earth, to the sky where it looks for light, to the water that nourishes it and which it protects, to the air whose purity it maintains, the tree brings together the four elements essential to life. After his series Land and Space, Mikiya Takimoto turns to the tree and the forest and goes on a search for the essence of this vegetal world, which is both surprising and mysterious. As in a music score, he arranges his images in succession, one at a time, to immerse us in lush forest spaces, and invites us to get to the heart of this nature in what is most essential to it, the origin of life. The precision of framing, which has vegetation soar up towards the sky, the sophistication of images which track the least twig, the play with focus, guiding us from the close to the distant: everything concurs to express this intense, taut world full of gravity, beauty, and spirituality. Between poetry and reality, Takimoto’s images carry our emotions and evoke the representative tradition of Gustave Le Gray or Eugène Atet. Still, even as the time of a tree is not the time of men, these protective giants are fragile. It would have been easy for the photographer to touch on the aggressions to which forests are subjected. Many others have taken on the task, exposing issues ranging from climate change to unplanned clearings to destructive exploitation. Mikiya Takimoto has opted for an account of passing seasons, which he fulfills with an unassuming virtuosity :colors change, green turns into russet, a once abundant foliage gives way to twigs, the blue of the sky appears and disappears, shadows loom. Little by little, the forest as a whole meets with the temptation of whiteness as a metaphor symbolic of life and death. Of course, the winter is coming. Imperceptibly, images sow doubt, uncertainty... Are these patches of fog to be followed by a spring? What if nothing returned as before? Once steady and strong, the forest has become precarious, with the seasons allegorizing a threat, a possible extinction. Trees, which mediate between the visible and the invisible, then represent the passing of time and the unpredictability of life. Yet Mikiya Takimoto, who always admirably and skillfully shapes his images, offers us a life lesson full of subtlety and, like a conductor, guides us towards the idea of renaissance and renewal : the spring will in fact come. No human presence comes to disturb the life of this forest: this is also a choice by the photographer. From time to time, an ordinary leaf alone reaches out to us, like an invitation. In fact, and quite deliberately, Takimoto thus proposes to each of us to be the only spectator of these images open to our sensitivity. He also invites us to touch with our eyes the persistent, exuberant presence of the forest, to step into photographic matter and make the experience a sensory adventure. He has made this forest universal ; he is now turning it into an earthly paradise open to the meditation of a solitary walker whose position he invites us to assume. Each image then becomes a space for contemplation, creating a dialogue both plastic and symbolic which here finds an emblematic expression at the crossroads of our scientific, cultural, and artistic concerns.  Françoise Paviot – May 2011 (From text contributed to the book)

    幻冬舎/ 2011年7月28日/ 118ページ/ 90点/ 256×256×16mm/ ISBN: 4−344−02017−7/ デザイン: 永井裕明

    GENTOSHA INC./ 2011 07 28/ 118pages/ 90photographs/ 256x256x16mm/ ISBN: 4−344−02017−7/ Design: Hiroaki Nagai

  • LOUIS VUITTON FOREST BOX

    LOUIS VUITTON JAPAN

    品質の高いモノづくりを継続するためには、その素材、自然を敬い守るという精神がとても大切です。故に我々は長い間、環境に配慮して参りました。その背景として、ルイ・ヴィトンは創業当時よりトランクの素材にポプラの木を用いております。つまり良質なトランクを製作する上で必要となるのは、上質なポプラの木となるわけです。ジュラ山脈の山麓という、美しい森と大自然の下に誕生した創業者ルイ・ヴィトンは、木を使ってモノ作りを始めました。彼にとって木はトランクの素材というだけでなく、モノ作りの心を表現するものだったのです。私自身も森が好きで、木々の美しい成長に留意しつつ、散策を楽しんでおります。すなわち森の保護を行うということは私個人の情熱でもありますが、1企業としてのルイ・ヴィトンの課題でもあり、そして森を大事に育むことで、孫の世代もまた森を楽しむことができるからなのです。それ故、我々は自然と共生し、その精神とクラフツマンシップを後世にわたり継承していきたいと願っております。 パトリック - ルイ・ヴィトン / ルイ・ヴィトン家5代目当主 (本書寄稿文より) フランスの地図を広げてみる。しばらく目を彷徨わせれば、フランスとスイスの国境付近に、恐竜の背骨のようなシルエットを見つけることができる。ジュラ山脈だ。山麓に沿って眼を移すと、点々と町や村の名前が見えてくる。ジュラ地方である。ここにルイ・ヴィトンの故郷がある。「 ジュラ 」とは「 森 」を意味するケルト語。ルイ・ヴィトンがその名を馳せるきっかけとなったトランク作りには、森から採れる良質のポプラ材が欠かせない。14歳にして400キロを踏破しパリに向かい、レイティエ・アンバルール( 荷造り用木箱製造兼荷造り職人のこと )として働き始めたルイ・ヴィトンと森の関係は、生まれた時からの縁であった。ルイの仕事は評価が高く、1853年にはユージェニー皇后( ナポレオン3世妃 )の専属荷造り職人となり名が知られた。1854年には、パリに世界初の旅行鞄専門店をオープン。それは、以後150年以上にわたり、伝統とともに受け継がれることになる”クラフツマンシップ”の幕開けだった。そして1859年、アニエールに最初のアトリエが完成する。こうした、創業者ルイの意欲的で野心的な性格を引き継いだのはジョルジュ・ヴィトンである。ジョルジュは、海外へも進出し、製品開発に貢献。ブランドとしての世界的な知名度を獲得する。 1896年には、「 モノグラム・キャンバス 」を考案し、その後、トランクの中に収納できる「 スティーマーバッグ 」などのソフトバッグを生み出したのも彼だ。やがて世界中からのオーダーに応えるようになると、顧客には、各国の王侯貴族、著名人等が名を連ねた。職人であった父親の技を、息子が発展させていく。ここに、伝統と継承を重んじるマインドを見ることができる。1978年、順調にビジネスを拡大させてきた「 ルイ・ヴィトン 」は日本にも進出。この地で収めた成功は、その後の世界展開に大きな弾みをもたらすことになる。日本は、「 ルイ・ヴィトン 」を語る時に外すことのできない土地だ。現在、ヴィトン家の5代目当主を務めるパトリック-ルイ・ヴィトンも大の日本通。パトリックは、若いころからアニエールの工房に入り、現在では、スペシャルオーダーの総責任者を務めている。高い品質へのこだわりと豊かな伝統、革新的なテクノロジーとチャレンジに満ちた日本が、「 ルイ・ヴィトン 」のデザインにポジティブな影響を与えてきたことは周知の通りだ。「 ルイ・ヴィトン 」が、坂本龍一氏が代表を務める森林保全団体more treesと連携し、長野県小諸市に「 ルイ・ヴィトンの森 」を作った背景には、こうした日本に対する深い愛情がある。プロジェクトがスタートしたのは2009年。この年は、ルイ・ヴィトンが最初のアトリエをかまえてからちょうど150年目の記念すべき年にあたる。そもそも、日本の森づくりと「 ルイ・ヴィトン 」のクラフツマンシップには、共通点を見出す事ができる。日本は、国土の約7割が森林であり、そのうち4割がスギやヒノキといった単一針葉樹が育つ人工林だ。この森は、人の技術やノウハウがなければ森として機能しない。まず木を伐採する。そこに新たな木を植える。そして成長の過程で逞しく育ったものを残すため、定期的に細いものを間引いていくのである。これを間伐(かんばつ)と言う。さらに、木の生育を妨げないように下草を刈り、美しい木目となるように枝を打ち落とす。こうした細かな手入れを、収穫までの約60年間繰り返していくのだ。そこには、未来に続く美しいサイクルがあった。父親が植えた木を、子どもが育て発展させ、孫が収穫する。森には生物が満ち、山は豊かになる。家族的で伝統的な営みが、木材の品質と、森林環境を守ってきた。しかし現在、日本の森林には元気がない。都市圏における生活様式の変化、価値観の変遷、ハイスピード・ハイリターンのビジネスモデルが台頭し、国産材が売れなくなったことが原因だと言われている。象徴的なのが林業従事者の数だ。50年ほど前の最盛期には、全国で40万人以上いた林業従事者は5万人程度にまで減少した。そのうち25%が65歳以上の高齢者だ。「 ルイ・ヴィトン 」のアクションは、単なる環境貢献だけではなく、こうした日本に対する励ましの意味が込められているに違いない。このタイミングで森林保全を行う事の意味を、彼らは日本人に対して投げかけてくれている。「 ルイ・ヴィトンの森 」は、プロジェクトがスタートしてまもなく2年が経過する。森は、地元の人々によって管理され、整備が進み、美しい姿になりつつある。育っている樹種は、シラカバ、カラマツ、スギ、マツなど様々。こうした、「 ルイ・ヴィトンの森 」の姿を、四季折々でファインダーに収め、一冊にまとめたのが本写真集である。瀧本幹也氏が写す森の姿からは、日本がもつ神話性や文化性が見て取れる。瀧本氏は、世界からも高く評価されてきた写真家だ。その写真には、空気感や哲学までが写し撮られているかのようである。森に生きる様々な生命の息吹が伝わってくる。太古からの景色や風景が浮かび上がってくる。それは森の写真を通して楽しむ、小さな旅のようでもある。「 ルイ・ヴィトン 」は創業当時よりの環境や文化に敬意を持ち、自然と共生する創造のもと持続可能な取り組みを行っていることで知られてきた。誰もが、本写真集にまとめられた写真の向こうに、「 ルイ・ヴィトン 」の思想、そして、自然や森の大切さを感じることができるだろう。    

    The creation of high-quality products involves working with respect for raw materials and nature. This is why, at Louis Vuitton, we have always paid the greatest attention to environmental conservation. Since its creation, Louis Vuitton has chosen to use top-grade poplar wood to manufacture its trunks. For Louis Vuitton, who was born at the foot of the Jura massif, wood was more than a production component; it represented the very heart of creation. I myself have a real passion for forests and nature. I like to go for long walks and observe with admiration how it evolves and changes colours through the seasons. While forest protection is something particularly important to me, it also represents a major issue for our Maison. By protecting forests, we allow our children to enjoy them in turn. I sincerely hope that we will be able to long remain in harmony with nature and continue to pass on Louis Vuitton’s spirit and expertise to future generations. Patrick - Louis Vuitton / Louis Vuitton, and fifth-generation family member (From text contributed to the book) Louis Vuitton harbors strong ties with the world of nature and forests. Mr.Louis Vuitton himself was born in the Jura region of France, well known for its beautiful mountains and forests. When Louis Vuitton left his hometown in the Jura at the age of 14 and walked 400 kilometers to Paris, it was upon his arrival that he found work as a layetier emballeur (trunk-maker packer). A trade that requires the fundamental use of quality wood, Louis Vuitton has since its origins been linked to the forest. In 1853, Louis, whose work was highly regarded, earned a name for himself by becoming the personal layetier to Empress Eugenie, the wife of Napoleon Ill. In 1854 he opened the first shop specializing in trunks and luggage, a tradition of “craftsmanship” that has now lasted for over 150 years. Five years after founding his company, Louis set up his first atelier in Asnières-sur-Seine, near Paris. It was Louis' son, Georges Vuitton who took after his father's drive and ambition. He ventured into overseas markets and contributed to the development of products such as supple bags, one most known as the Steamer Bag. He also launched Louis Vuitton's emblematic “Monogram Canvas” in 1896. Georges Vuitton took his father's craftsmanship and business and propelled it to the next level, making one of the Maison's strongest values that of transmission and tradition. The 20th century was a time for growth and adventure for Louis Vuitton. In 1978, Louis Vuitton arrived in Japan, later triggering worldwide success for the Maison. Japan has played an important role in the history of Louis Vuitton. Japan is widely known for having a taste for quality, tradition, revolutionary technology and for its spirit of challenge; Japan had a beneficial impact on the Maison Louis Vuitton. Louis Vuitton and Japan's long lasting relationship gave way to a collaboration with “more trees,” forest preservation organization headed by Ryuichi Sakamoto, to establish the “LOUIS VUITTON FOREST” in Komoro, Nagano. The project was launched in 2009, a commemorative year for Louis Vuitton, as the workshop in Asnières-sur-Seine was celebrating its 150th anniversary. There are many common aspects in Japan's forest-making and Louis Vuitton's craftsmanship. 70% of Japan's land is forest, and of that, 40% is man-made forest comprised solely of cedar or cypress. These forests cannot survive without skill and expertise. Continual logging and replanting is required. In order to maintain the sturdier trees, thinner, weaker trees must be extracted periodically. This is a method known as kanbatsu (the thinning out of a forest.) Underbrush must also be cut to help the trees grow, and branches must be clipped to maintain quality wood-grain. This meticulous maintenance must continue for 60 years before any timber can be produced. Nevertheless, it is a beautiful cycle which can be carried on for generations. The father plants the trees, his son grows them, his grandson timbers them. Meanwhile, the forest lets life thrive, forming lush mountains. This is how familial traditions have preserved both high quality wood and the forest environment. But the forests in Japan today no longer thrive. The changes in lifestyle, the city influence, the changes in values, and the now mainstream high-speed high-return business models are said to have dampened the domestic wood industry. We can see this in the number of forestry workers in Japan. 50 years ago, when the industry was at its peak, there were more than 400,000 people employed in Japan's timber industry. Now there are only 50,000. 25% percent of those 50,000 are over 65 years of age. Louis Vuitton's initiative with “more trees” is welcomed in order to help do something about this situation. Not only an aim to contribute to the environment and raise awareness for the protection of the forest, but also to support Japan in its hour of need. Two years have now passed since the launch of the “LOUIS VUITTON FOREST” project. The forests have been maintained by locals, rejuvenating the forests’ beauty. A variety of species can be found, such as white birch, Japanese larch, cedar, and pine. This photo book captures the beauty of these “LOUIS VUITTON FOREST” throughout the four seasons. Mikiya Takimoto’s photography allows a glimpse into the mythology and culture of Japan. An internationally acclaimed photographer, Takimoto captures ambience, and puts forth introspection. The breath of the forest is almost tangible. This photo book is an invitation to an enchanting journey through the forests of Japan. Since its origins, the Maison has been conscious of the importance of respecting the environment and minimizing the impact on its surroundings. Its culture is steeped in know-how, tradition and innovation. Such values naturally lead Louis Vuitton to the respect of nature and forests.    

    LOUIS VUITTON JAPAN/ 2011年7月28日/ 118ページ/ 90点/ 275×275×73mm/ デザイン: 永井裕明

    LOUIS VUITTON JAPAN/ 2011 07 28/ 118pages/ 90photographs/ 275×275×73mm/ Design: Hiroaki Nagai

  • SIGHTSEEING

    Little more Co., Ltd

    新しい世紀の到来で沸いていた2000年の年末。4×5インチのLinhof MASTER TECHNIKAを携え、私はバルセロナの有名なガウディ建築サグラダファミリアを見上げる公園に立っていました。人混みを避けるため、朝早くから三脚を据え天地逆さの、そのファインダーを覗くと妙な違和感を感じました。画にはなるのですが既に沢山見たことのあるお決まりの写真にしかならないと思えたからです。場所や撮り方を変え幾度かフレイムに収め試みましたが、とうとう1度もシャッターを押すことが出来ませんでした。周りを見渡すと似たようなアングルで記念撮影をする観光客が徐々に増え、更にバスが次々と到着すると、あらゆる人種の人たちでごった返してきました。観光ツアー客を横目に半ば撮影することを諦めかけてましたが、こういった場所でのリアリティのある風景というのは、むしろこっちの方だと思えてきたのです。そう思った途端に観光客の人たちがとても可愛らしく、行為が滑稽に見えてきました。思い思いにポーズを決め、あたかもアミューズメントパークにいるようにも見えてきました。観光地特有の希薄な空気感すら透かし見えるようでもありました。その時に夢中に撮った写真を日本に持ち帰って現像すると、何か新しいコトが写った気がして、とても嬉しかったのを憶えています。当時広告批評の編集実務を事実上取り仕切っていた(故)白滝明央さんにその写真を見ていただいたのですが、観光地の裏側というコンセプトで観光客だけを撮るというのは面白いが、どの観光地で撮られたのか種明かし的な写真が入ってきたりだとか、他にもいろんな観光地が入ってくるといいのでは、といった助言をいただきました。それで方向性が一気に明確になり、世界中の観光地をこの視点で撮影し、一冊にまとめたいという思いがかたまりました。写真家として独立し、活動を始めて3年目、広告や雑誌の仕事はしていましたが、自分の作品を早く発表しなくてはという焦りがすごく強かったと思います。それから世界各地に仕事で訪れる度に時間を作って撮影の機会を設けるのですが、そのほとんどが上手くいきませんでした。偶発的な風景を狙っているわけで、時間のない中での撮影はとても難しかったのです。以降このシリーズのために国や場所をリサーチして季節や天気、集まる人種、服装などを調べ、ベストな条件で赴くようになっていきました。2001年9月11日、ニューヨークでアメリカ同時多発テロが起きました。その時報道カメラマンが撮ったある一枚の写真が目に止まりました。その写真はワールドトレードセンターが崩れ落ちる裏側を撮った写真でした。危機迫るビルを見上げている人を狙ったもので、先の写真に一見似ていましたが、圧倒的リアリズムの写真を前に呆然としたのを憶えています。それまで曖昧であった自身の写真を考えなおすことを強いられました。その後このシリーズに厳密なルールを設けることにしました。一切の演出をしないと決め、狙って撮るというよりはアングルを定めカメラを据えたら、暫くそこでいい人が現れるまで待つという撮影法にシフトしていきました。その場所でその時に起こることの完全なる偶然性に委ね、敢えて大判カメラで撮ることにしました。画面の隅々まで後から眺められる視点も欲しかったのです。世界中の資本が集中するフェイクとも思える観光地の風景の中に、リアリティが写ると信じました。世界のあらゆる国々が、ある規律の元にフラットにシンクロニシティーしていく時代でもありました。2003年に六本木ヒルズが開業して、ヒルズ族なる言葉が生まれ、ランドマークに群がる人々がメディアを賑わせていました。どこかお決まりのツアーでわかったような気になってしまう観光客にも似たものを感じていました。少しいじわるで皮肉な視点で見てみたりもしました。でも実はそれがとても滑稽でとても人間ぽい行動なのかなとも思いました。観光地に集まる群像が、社会の縮図のように見えてきたのもその頃です。5年に渡り南極をはじめ世界7大陸16か国、約40か所に及ぶ撮影にまで及んだのも、シニカルながらどこか傍観者のように観察するのがとても楽しかったからなのだと後になって思います。このプロジェクトをはじめた当初、観光客が手に持っていたカメラはほとんどがフィルムカメラで、みんなファインダーを覗いてシャッターを切っていました。それがデジタルカメラに変遷しモニターを見ながら撮るようになり、終盤ではそれが携帯になっていました。おそらく現在だと自撮り棒なのでしょう。あらゆる要素を含めて時代を超えてもなお愛される存在のランドマーク的な場所への興味は尽きません。 2016年5月 瀧本幹也

    The end of the year 2000 was full of the energy that comes with the arrival of a new century. Armed with a 4x5-inch Linhof MASTER TECHNIKA, I stood in a park with a view of Gaudi’s famed La Sagrada Familia in Barcelona. I wanted to avoid the crowds so I had set up my tripod early in the morning, but felt an odd dissonance as I gazed through the viewfinder. The reason was that while it would make a nice picture, I felt that it would only be of that standard type that we’ve all seen so many times before. I tried experimenting with the frame from all sorts of locations and angles, but in the end I found myself unable to click the shutter even once. Looking around myself, I could see that the number of tourists lining up similar angles to get their own commemorative shots was steadily increasing, and as more buses arrived the park became crowded with people of all races and creeds. As I watched these tourists out of the corner of my eye, I was on the verge of giving up shooting for the day until I suddenly realized that this sort of real scene in this setting was actually just what I was looking for. The moment I realized this the tourists suddenly seemed very cute to me, and their behavior almost comedic. The way they struck random poses made it look like we were all in an amusement park. I felt as if I could see through that artificially constructed atmosphere unique to sightseeing spots. When I returned to Japan and developed the photos that I had taken so fixedly at that time, I felt that I had captured something new and was extremely pleased. I showed these photos to the late Akio Shirataki, who at that time was quite matter-of-factly leading the editing business in advertising critique. He found the concept of flipping the idea of tourist destinations on its head by photographing the tourists instead to be interesting, but also offered the advice that it might also be good to have shots that reveal where the photos were taken, as well as shots from other sightseeing locations. My objective became clear at that point; I knew then that I was going to shoot photos from this perspective at tourist spots around the world and collect the results in a book. This was my third year as an independent photographer. I was doing work in advertising and for magazines, but I was growing very desperate to present some of my own personal pieces. From that point on I began making time for my own shoots when I visited various locales for my work, but it never went quite the way I wanted. The types of scenes I was looking for were spontaneous and very difficult to catch when I had little time to spare. I would later adjust my approach for this series by researching countries and locations, looking into the seasons, weather, types of people who gather there, clothing, and so on, so that I would be dealing with the best conditions. On September 11, 2001 New York was struck by multiple acts of terror. I remember my eyes falling upon a single image taken by a photo journalist at that time. It was a photo taken of what was happening behind the scenes as the World Trade Center collapsed. He was focusing on the people gazing up the imperiled building, so while at first the idea seemed similar to what I had shot before, I was dumbfounded to be confronted by an image with such overwhelming realism. I felt I had no choice but to rethink my own ambiguous concept. I would later go on to impose strict rules over this series. I decided I was done with any sort of setup or imposing directions to my subjects. Instead I would shift my photo style where I would position my camera with a fixed angle and then wait for someone interesting to show up in the frame. I would leave it up to the complete spontaneity of that place at that time, and also take up the challenge of using a large format camera. I wanted to capture a photo which could be gazed at from every corner of the image later. In these tourist locations that seem almost artificial and constructed with so much of the world’s capital concentrated in them, I felt something real could be captured. It was also a time when many countries around the world were becoming similar and synchronized all falling to capitalistic tendencies. Roppongi Hills opened for business in 2003, which led to the media picking up on the so-called “Hills Tribe”, or those people who flock to landmarks. I felt that there was a similarity to these tourists who seemed to know it all after partaking in these perfectly packaged tours. I have to admit my view of them wasn’t always kind. But, the truth is that I found their behavior to be very funny and ultimately very human. These crowds flocking to tourist destinations began to resemble a miniature version of society to me. Starting with the Antarctic, I shot at over 40 locations in 16 countries on seven continents over the course of 5 years. I later came to realize that I found observing such scenes as a cynical yet somewhat removed bystander to be very enjoyable. When I first started this series nearly all of the tourists were toting film cameras, closing the shutter while gazing through viewfinders. This later turned to people viewing the monitors of their digital cameras, and eventually the screens of their mobile phones. Now it would probably be people with selfie sticks. This is why even after all this time I never fail to find beloved landmark-type locations to be interesting. May 2016 Mikiya Takimoto

    リトル・モア/ 2007年2月11日/ 96ページ/ 79点/ 276×208×18mm/ ISBN: 4−89815−203−4/ デザイン: 服部一成

    Little more Co., Ltd/ 2007 02 11/ 96pages/ 79photographs/ 276x208x18mm/ ISBN: 4−89815−203−4/ Design: Kazunari Hattori

  • BAUHAUS DESSAU ∴ MIKIYA TAKIMOTO

    PIE BOOKS

    バウハウスを撮ること 夢 バウハウスに接近すること バウハウスと戯れること なぜならぼくたちはバウハウスの子供たちだから バウハウスを視ること バウハウスを視る時 ぼくたちはいまだモダンという時代に生きていることを知る 郷愁としてのモダン しかし次の時代は未だ来ない バウハウスで、視線が戯れること バウハウスを愛でること バウハウスを愛撫すること ドアノブに魂が宿るのを視ること バウハウスを視上げること バウハウスを撮ること 坂本龍一 (本書寄稿文より)

    Capturing Bauhaus A dream We get up close to Bauhaus We joke around with Bauhaus Why? Because we’re the children of Bauhaus We gaze upon Bauhaus And when we gaze upon Bauhaus We know that we’re still living in what is called the modern age But it’s the modern as nostalgia Where the next age has yet to come Bauhaus tricks the eye We cherish Bauhaus We caress Bauhaus We can see that even doorknobs have souls We gaze up at Bauhaus Capturing Bauhaus Ryuichi Sakamoto (From text contributed to the book)

    PIE BOOKS/ 2005年5月9日/ 84ページ/ 47点/ 364×256×24mm/ ISBN: 4−89444−420−8/ デザイン: 古平正義

    PIE BOOKS/ 2005 05 09/ 84pages/ 47photographs/ 364x256x24mm/ ISBN: 4−89444−420−8/ Design: Masayoshi Kodaira

  • NARA YOSHITOMO HIROSAKI

    harappa

    2002年夏、奈良美智の故郷青森県弘前市にある吉井酒造煉瓦倉庫で開催された展覧会『I don't mind. if you forget me.』で展示された作品や、展覧会開催までの過程を記録した写真集「NARA YOSHITOMO HIROSAKI」。奈良美智展は、展覧会の準備、資金集め、運営はもとより、それまで使われていなかった倉庫を掃除しペンキを塗り、ショップやカフェ、家具やトイレ、エントランスを作るといった倉庫のリノベーションの作業まで、ほとんど全て日本中から集まったボランティアスタッフの手によって実現した。スタッフは実にのべ3,500人にも及んだ。そういった全てを含めての展覧会開催だったので、古平正義ディレクションの元、作品やそのまわりの風景をもドキュメント的に写真に記録された。現在も販売中。

    "NARA YOSHITOMO HIROSAKI" collects many of the art displayed at the "I don't mind. if you forget me" exhibition held in the summer of 2002 at the Yoshii Brewery Brick Warehouse in Hirosaki, Aomori Prefecture, the home of Yoshitomo Nara, and documents the process leading up to the exhibition. The show was the culmination of work by volunteers from all over Japan handling all the usual steps such as preparation, gathering funds, and management, but also completely renovating an abandoned warehouse with cleaning, fresh paint, and installing shops, a cafe, furniture, restrooms, and an entrance. In the end the staff roll included nearly 3,500 people. With so much work involved, we decided to create a photo documentary of the artwork and other scenes from the project under the direction of Masayoshi Kodaira.

    harappa/ 2004年9月11日/ 64ページ/ 59点/ 260×365×7mm/ デザイン: 古平正義

    harappa/ 2004 09 11/ 64pages/ 59photographs/ 260x365x7mm/ Design: Masayoshi Kodaira

  • futo

    MADRA Publishing

    糸や布を使って写真に刺繍を施した作品で知られる清川あさみの初めての作品集。個人作品集という体裁であるが、瀧本幹也の透明感のある写真にアートディレクターの森本千絵による小さな書籍が三冊独立して埋め込まれた独特な造本がそれぞれ面白い印象を加えており三者の共同作品集。

    This is the first collection of work by Asami Kiyokawa, an artist known for creations that mix embroidery with photography using thread and cloth. While this ostensibly a solo collection of her artwork, it also features the opaque photography of Mikiya Takimoto along with a distinctive binding that includes three separate mini books by art director Chie Morimoto, so it is actually an outstanding three-way collaboration.

    マドラ出版/ 2002年10月25日/ 112ページ/ 53点/ 310×264×30mm/ ISBN: 4−944079−31−1/ デザイン: 森本千絵

    MADRA Publishing/ 2002 10 25/ 112pages/ 53photographs/ 310x264x30mm/ ISBN: 4−944079−31−1/ Design: Chie Morimoto